【将棋】 自分の将棋歴
普段からこのブログは基本固定客として読む人はいないというスタンスでやっていますが、将棋に関する話は普段のゲームの話以上にここに書いても全く誰も読まないと思います。
ですが、自分の中で大きな趣味であり長年の趣味であるからこそ語りたいことも多く、実際今通っているネット対戦サイトの81道場では日々仲良くなった人と将棋の話をしているので、いっそここでも書いてしまおうと思いたち、将棋に関する話を今日以降何度か書いていこうと思います。
というわけで第一回は自分語りから。
早速読み手の最も興味ない分野から攻めていきますが、まあそういうブログです。
覚悟の上スタート。
ブログを遡ると以前も一度だけ自分語り系のことを書いているようですが、改めて一から書きます。
最初に現在位置を提示しておくと、今の私の棋力は推測ですがアマ四~五段程度です。
81道場では執筆時点で七段になってはいますが、これは同格の対戦相手がなかなかいないために格下にあたる人ともバンバカ指した結果なので正しくなく、実際のRは2200くらいだと思います(六段)
81道場は2年前に比べ若干インフレしていると思うので(全体的に一段分ずつ上に上がってるという印象)、今現在の81六段はリアル四~五段くらいだと思う。
実際に81道場の友人でリアル道場(千駄ヶ谷などのガチ系)にも通ってる人が何人かいて、そのうち一人が81五段で千駄ヶ谷四段、そしてその人との対戦成績が自分の方が大きく勝ち越してはいるので多分自分のリアル段位は前述程度だと推測されます。
もっと流行って欲しいので宣伝のため81道場のリンクも。
81dojo.com
ここを現在位置として、さて過去の自分の歴史語り。
私が初めて将棋を指したのは小学生の頃だったと思います。
と言っても当時はルールを親に教えてもらった、程度で強いとか弱いとかそういう次元ではなく、ただ駒を動かせる程度でした。
学校でも特に流行っておらず、指す相手は親か兄弟程度。
当然定跡どころか囲いの知識すらお互いにないわけですが、当時家族の中ではやっていた陣形がこれでした。(下側)
命名、駒が全部連携していてどれもただでは取れないぞ陣形(笑)
子供のやることなので一切ツッコまないでください(笑)
家族以外の人と指すようになったのは中学生になってから。
中学では休み時間の娯楽として将棋がそこそこ流行っていました。
とはいえやっぱり田舎の将棋、誰も定跡なんて知らない世界で、矢倉すらやってたか記憶がありません。
何故か木村美濃をやってた記憶と、あとひねり飛車をやってた記憶はあります。
学校では強い方ではありましたが、それでも当時の棋力は多分3級程度。子供の遊びの範疇です。
一応当時初段の学校の先生がいて、その先生と指すこともありました。
その先生とまともに戦える生徒は私くらいでしたが、それでも私も全部負けてました。
一回だけそこそこいいとこいったことありましたが、そこは休み時間に指す将棋、時間切れで中盤の辺りで終りとなりました。
その将棋もひねり飛車だったと思います。
私の住んでた場所はかなりの田舎で、道場なんてものはなく、そもそもそんな物が世の中にあることすら知りませんでしたが、よって対局相手がいない、というのが当時としてはごくごく当たり前に起こる一般的な問題でした。
高校に進学すると高校が進学校であったこともあり、将棋を指す機会自体が一切なくなりました。
その後大学に進学してもやはり指す相手はおらず。
今思えば大学で将棋サークルに入れば相手はいたでしょうし、道場も存在を知っていれば一応東京の大学だったので通うことは可能だったと思います。
しかし大学の頃でもまだ道場の存在は知らなかったんですよね。
あと大学の将棋サークルはかなりガチな大学なので、入ってもほぼ初心者レベルと言ってよい私の居場所はなかったと思います。
将棋自体は好きだったものの誰とも対局できないのでこのまま一生消えてく趣味になるのかなと思っていましたが、そこに救世主が表れました。
ネット将棋です。
当時はまだ将棋倶楽部24すらなかった時代なので、goo将棋というのが最初に私がやったネット将棋でした。
人はそれなりにいたもののレベルも低く、初段もあれがかなり上位にいられる程度のサイトでした。
自分は初段なかったのでそのサイトの中では中堅。でも最下層ではなかったこともありそこそこ楽しむことができるスタート位置だったので、そこから対局にのめり込んでいきました。
当時記憶に残っている寄せ。
(形だけなので、細部不正確。この形でここに桂を捨てる手、というだけで見てください)
こういう手が指せるようになってきた頃、でした。
その後将棋倶楽部24ができてそこに移行。
将棋倶楽部24のRをやっていたのは当時だけでした。
当時でギリギリ二段になれたのが最高成績。当時(20年前)の二段って今の何段なんでしょうね? 最近の24のレート相場は一切分かりません。
20代の頃はともかくのめり込んでしまい、毎日何局も何局も対局していました。
むしろ寝なきゃいけないのにやめることができず、一番酷い時は仕事に睡眠時間10分で行ったりしてました。
それでなくとも睡眠時間1、2時間はザラ。今思えばかなりの無茶をしたものですし、逆にこれができてはしまうのは若さだなぁと。
休みの日などは徹夜で30秒将棋を指しまくり、一日100局指したこともあります。
最後の方(徹夜した明けの日の昼過ぎ)は意識朦朧で全く頭は回りませんでした(笑)
当時は弱かったものの、若さの特権、読みの速さと反射神経だけは優れていて、24でもノータイム指しで有名でした。(ノータイム指しの是非についてはここでは割愛します)
未知の局面を深く読んで自分でいい手を見つけ出すこと、詰みを読むことに関しては当時が一番優れていたと思います。
こういう手が知識や経験ではなく、ゼロからの自力で見つけられたりしてた時期。
(これも細部不正確で筋の記憶だけで作った盤面。取ると詰みなので逃げるしかないがすると57角成と竜を抜かれます)
取った場合の詰み手順。
同香は11角12玉21銀11玉32銀成51合22金まで。
同玉は11龍として12金合は25桂24玉13角同金同龍まで。
11龍に24玉は42角と捨てて同金13銀33玉22龍まで。
42角に33合は15銀同歩同龍まで。
ネット将棋を指し初めの頃は知識はあまりないのに読む力だけはあったので、自分自身で未知を切り開いていく楽しさのようなものは今よりありました。
結果的にそれは定跡的な手であり常識的な筋だったとしても、それを知らない中自分自身でそれを見つけることに意味がある。
結局20代の頃指しまくって、当時は三段くらいにはなったと思います。
それでも今思えば、当時は上で盤面を貼ったような派手な手ばっか一生懸命探していて、そして攻めの手ばっか立派で受けのできない将棋でした。
実際、ある格上の受け将棋の人にカモられて、毎局切らされて負けるという屈辱的な負け方を繰り返していました。
まあ今となっては逆のことをしているわけですが(笑)、その辺の棋力と指し方に関する話はまた別記事で書きます。
その後、仕事での疲労もあり、本気で将棋を指すことがしんどくなってきました。
特にRをやるとどうしても負けることに対して敏感になるというか、精神的負担も大きいですしかと言って負けたくないからと本気で指すには体力が残ってない。
そんな状況からRをやることから離れていき、あくまで遊びとしてフリーで指すだけの日々に変わりました。
ノータイムでペチペチやるだけの、中身の乏しい将棋。
私はゲーマーでもあるため、将棋でなくゲームの方にハマることも多く、将棋を指さない時期もある程度挟まるようになってきました。
そんなのでも数だけはこなされるため、経験値の蓄積的に棋力は上がり、一応四段に手が届くくらいにはなりました。
そしてだいぶ経ち、2年前くらいに81道場を見つけ、そして久々に本気で将棋を指し始めました。
本気で指すと言っても本気で勝つための努力をする(主に勉強方面で)ということではないのですが、基本(フリー対局に移行後)30秒将棋しか指してなかったところから、久々に時間のある将棋(10分15分)を指すように。
ちゃんと考えた将棋はやはり中身があって、後から棋譜を振り返ってみても楽しいものでした。
また、若い頃に比べ負けず嫌いが過ぎる点も穏やかになっていて、Rを指してもそこまで勝ち負けに敏感にならなくなっていました。
久々すぎて昔覚えた定跡は忘れてるし、最新の戦法についても詳しくないし、最初は知識面では四苦八苦でしたが、今はだいぶその面も追いついてきて、そして今の棋力があります。
振り返りのまとめに入りますが、私くらいの年代の、しかも田舎者にとっては、ネット将棋の存在はかなり大きかったです。
田舎者でなくとも、都会に住んでいても仕事をしていて夜の多少の時間しか将棋に割けない人も同様。
ネット将棋があるからこそ私は将棋を続けられました。
そしてネットで指しまくった結果、むしろネットでしか指したことない人間になりました(笑)
これも別記事で書こうと思いますが、リアルの道場に通ったこともなければ大会に出たこともありません。
あまりにリアル盤駒で指したことがないので、たまに実家に帰って甥っ子と将棋を指したりすると、目の感覚が狂って角筋を間違えたりします(笑)
リアル経験のないネット専での四~五段。
割と珍しいようで今の時代だとそれなりによくある事例なのかもしれません。