【アニメ】響け!ユーフォニアム2

2見終わりました。

「響け! ユーフォニアム2」Blu-ray BOX

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・・・あれだけハマっていたのに1を見終わってから1ヶ月半かかった理由を説明しよう。
私はDMMでレンタルをしているのですが、月額制で契約しているので上限枚数借りて返却したら次のを借りられるシステムになっています。
そして借りたら返却期限がありません。
ので、一度借りたら何十回レベルで繰り返し見ていたのでこんだけかかったのです(笑)


だって返却したらもう見れなくなるんですよ? 擦り切れるほど見てから次借りるに決まってるじゃないですか。


さすがに毎回正座して鑑賞だけするわけではないのですが、最近良くやってる将棋を指してる際にBGAとして流したり、ともかくPC付けてる時はひたすらループ再生してました(笑)
正直あまりに観るので、ちゃんとBD買おうかなとまで思ってきてます。BOXだと2万円か・・・。



さて中身の話。
メインストーリー(コンクールに出て金取る)を中心に進んでいた1に対し、2は個人に着目してそこのドラマを中心に描いていたように思います。
希美みぞれ、あすか、麗奈。
あと個人的に苦労人なので浮かばれてほしかった部長が晴れ舞台をもらったのも嬉しかったです。
決して上手ではない(苦しそうに吹いている)のが彼女らしかった。


関係ないけど、元々吹奏楽の強豪校というわけでもない学校にも関わらず、親がプロ、が多くないですか(笑)
麗奈(トランペット担当:親がプロのトランペット奏者)、あすか(ユーフォニアム担当、親がプロのユーフォニアム奏者)
滝先生を追ってきた麗奈は分かるけど(実際立華の推薦を蹴って来たという描写あり)、あすかはなんでここ来たんだろ。
家が近くだという描写はあったので、単に近くの学校だったからなのかな。
あすかの立ち位置的に吹ければどこでもいいとは考えていそうですし、母親的に吹奏楽の強豪校(=吹奏楽をやるための学校選び)をしなさそうというのはそうかもしれません。



ちなみに全国銅賞で終わるわけですが、関西地区は激戦区であり、そこを勝ち抜いた精鋭校が誰かが露骨なミスをしたというような理由もなく銅賞ということはあまりないことと思います。
そこを最初疑問に思ったのですが、なぜそうなったか、アニメの中だけでは理解できないのですが、原作の方に間接的ながら理由の描写があるようです。
まあネタバレ云々気にするブログではない(見てること前提で元々書いてる)ので書きますと(と言いつつ一応伏せ字)、元々関西地区は全国常連の強豪校が毎回全国の切符を独占していたのですが、とある強豪校の一つがコンクールのソロでミスをしてしまったそうです。その結果北宇治が勝ち残れた。
ちなみにそのソロパート、本来の担当者が怪我をしてしまったせいで急遽2年生の子が担当したとのこと。

なお、この辺に際し久美子の、決して性格良くないけれどもリアルな感情描写も描かれているようで、それを知ってぶっちゃけ原作を読みたくなりました。
というかもう注文しました(笑)



2の終わりに世代交代が発生するわけですが、新部長、副部長が優子と夏紀というのはさすがの人選ではないですか。
他人のために一生懸命になり感情を高ぶらせることができる優子と、同じく他人のために行動できるけど一歩引いた立ち位置を取れる、そして気持ちの部分を推し量れる夏紀、素晴らしいペア。
優子に関しては一年での成長も描かれているのでそれも込みで彼女が部長は素晴らしい。

ちょっと話は逸れますが、私はこの手の世代交代が起こる話が大好きです。
最近の漫画などでは一年からエースの主人公とチームメイトがいて、3年間それらが中心人物となり同じメンツでやっていくものが多いのですが、私は3年生が普通にエース、しかし世代交代で抜けていき以前はエースではなかった人たちが成長して新たなエースになっていく、という物語が好き。
非常に古い作品で知ってる人の方が少ないと思いますが昔「キャプテン」という野球漫画(というかアニメで見てました)があって、それがまさにそれだったんですよね。
3年生が卒業した後次のメンバーが一生懸命努力して新たな体制を作っていく、1年の頃は補欠メンバーだったり端っこの選手だったのがいつしかエースピッチャーになっていく、そういうのがとても感動的な作品でした。


響け!もこのパターンにこれから入っていくのでとても楽しみ。
(ちゃんと続編(現在は続編は劇場版の方に移行しているよう)でその辺が描かれるようです)



さて、2を見て一番書きたいと思った、お姉ちゃん問題。
これから書くことはおそらく世の中の多くの人には賛同されません。
なぜ賛同されないかの理由は後ほど書きますが、むしろ反論したくなる、もっというと噛みつきたくなる人が多いでしょう。
なのでそういう自分にとって不快になるかもしれない話が嫌な人は最初から読まないことを推奨します。



この作品ではお姉ちゃんが取っていた(最終的にそこから「卒業した」と描写される)行為に関しては否定的に描かれていると思います。
家のこと、親のことを考え、長女だからということでやりたいことを我慢し、(同じ家族なのに妹には課されていない)責務を担当する。
これに対し、「自分の意志で自分の人生をやりたいように選択すべき。(それをしなかったお姉ちゃんが悪い)」という形で描かれています。
そしておそらく、多くの方はこれに賛同し、共感したことでしょう。


が、私はこのお姉ちゃんの扱いに関しては全く賛同できません。



人生は自分のもの、自分の好きなように、自由に選択するもの。していいもの。
一見聞こえのいい言葉ですが、現実はそんなことはないんですよ。


世の中には家というものがあり、そこには家を継ぐ立場の人間というのが存在します。
その立場に立ったことがあるか、それに対して例え自分が立たなくとも自分の問題として真剣に考えたことがある人なら「そんな甘っちょろい考えだけで好きに生きれるもんじゃないのよ、人生というものは」という考えの方が頭に浮かぶでしょう。
家、とまで話を広げると大きすぎる場合は子供の養育、で考えてもいいし親の将来の面倒、という話に置き換えてもいい。
どのみち「家族のため、自分だけの自由選択で気ままに生きることは叶わない」、というのが本当の世の中です。
そしてその損な役割を担当してくれる人がいるからこそ、あなたは自由に生きられているのです。



しかしこの意見は多くの人には賛同されないでしょう。
なぜなら本家に生まれ、家を継ぐ立場に立ったことがある人(つまり責任を持った立場の人)が世の中では少数派だからです。
一家に兄弟3人いればその立場に立つ人は1人だけです。じゃあ1/3かというとそうではなく、本家でないと発生しない問題なのでたとえ長男でも親自体が特に継ぐ家もない立場で自由に生きてきた独立家族である場合、自分も自由に生きられます。
「本家であり長男である」、この条件を満たした人以外は「考えたこともない」世界だからこそかなり少数の人にしか理解されない話です。

「本家」とか古臭い考えだ、と思う人もいると思いますが田舎にいれば普通に目の前に広がる、どこの家でも抱える現実の問題です。
東京に住んでる人は多くの場合本家ではない、継ぐ、守る家というものがない人なので(国民の比率として多数である)都会の人には「非現実的」な世界かもしれませんが田舎だと普通に現実です。


そして困ったことに?創作の分野などは、趣味の世界で自分のやりたいことだけに全力で走った人がやっています。
そのため、アニメなり小説なり、なんなりでも物語というのはそういう立場の人の視点でしか描かれません。
それを見る私達も、そのためそういう考えにだけ触れ、そういう考えが正しいように描写されたものを正しいとして鑑賞するので賛同してしまう。



しかし私はそれには全く賛同できません。



お姉ちゃんの話は家を継ぐというほどの大きな話ではない、という気持ちが湧いているところだと思いますが根本の問題は「自分のことだけを考えた選択で人生というものは回るものではない」という部分なのでお姉ちゃん問題もそこで感じるところがあったためこの話をしています。
もうしばらくこれに関する話を続けます。



お姉ちゃんに関しては、見ていて「自分のやりたいことを自由に選べないという立場がある中で、我慢したんだろうな」という部分に共感こそすれ「自由に選ばないお前が悪いわ」みたいな感情は私の中には湧きませんでした。
最終的にはお姉ちゃんは自分で選んで自由に生きても(この家族の中では)良かったのかもしれません。しかしそれでもお姉ちゃんに向けられるべきは「今まで我慢させてすまない。自由選択を制限してすまない。お前の自由に生きていいんだ。お前自身が選べ」という態度のはずで、「選んだのはお前だ。お前が悪い」とした上で「お前が自由に生きたいなら学費も生活費も自分で稼げ」と向けられるものではありません。(妹には自由に生きても生活を保障しておきながら)



かなり現実に即した話であるため、ここで自分の話をします。(興味なければ下の次の境界線のとこまですっ飛ばしてください)
―――――――――――――――――――――――――
私は田舎の生まれで、実家は本家にあたります。
ただ家(house)がそこにある、というだけでなく昔からの広大な(と言ってもほとんどただの無価値の山ですが)所領地もあり代々の〇〇家、がずっと生きてきた土地。
兄弟は3人います。その中で私は次男です。


本家というものは子供が「やりたくないからぽいっ」で簡単に捨てて自分のやりたいことだけやれるような軽いものではありません。
うちに限りません。私に限りません。(東京と違い)田舎では本家はたくさんあり、どこでも同じです。


そしてほとんどの人は「やりたくない」ことです。
兄弟間で誰がその「損」を担当するかはどの家でも揉める問題です。


そんな中、私は次男ながらも、自分がそれを担当することを選びました。
そこにはもちろん親への感謝もありましたが、(自分より優秀な人である)兄をその責務から解放させて自由に生きさせてあげたい、という思いもありました。


私は家を継ぎたいから継いでいるわけではありません。
誰かがやらなければいけないことが目の前にある、なら自分はやりたくない、で他人に押し付けて逃げるのではなく自分がそれをやろう。
ある意味では自己犠牲ですが、そういう理由で選びました。
それに対し「お前が勝手に選んだ。好きだから選んだ。お前は自分の自由に生きればいいのに」と言われたとしたら「無責任だな」という感想しか浮かばないです。
「自己犠牲は間違いだ! 人間というのは自由だ!」というのはそういう「誰かがやらなければいけない嫌なことを自分自身で担当する」ということをしたことがなく、直視したことがない人間の考えです。
ただし、残念ながら世の中の多数派はそういう立ち位置の人間です。


うちに関しても、残念ながらこの損をすることを兄弟も嫌がって避けました。
私は家のために(当時他社からスカウトされるほど成功していた)東京の仕事を捨てて広島に戻ったのですが、兄は今でも「家を担当してくれてありがとう」ではなく「広島に〇〇(私の名前)がいるんだから家のこと、親のことは〇〇がやれ」という態度で言ってきます。
妹はある程度家のことを考えてくれていますが自分自身は自分の自由に生きるために家も親も放棄して東京に出たこと自体は変わりません。
田舎で本家に生まれた人間ですら、私のような考えを持つ人は少数派なのです。
そうでない人は言わずもがなであり、結局私の意見は少数派。現実を見ている人も少数派。



次に父親の話。
私の父親は回りから「東大にも入れる」と言われたほどの天才だったようです。
が、長男に生まれた父親は、高校に進学することすらさせてもらえず、実家の農家を継ぐことを強いられました。
一方で、弟は自由に生きさせてもらい、高校にも進学し、そして大阪に出て最終的に小さい会社ながら社長になりました。
能力的にはうちの父親の方が優秀だったようです。しかし父親は自分の自由に人生を選べる権利自体がなく、結局田舎で農業をしました。
優秀な人だったので現在農業の分野でもかなり大きな成功をしていますが、それは自由選択の話とは別の話。
結局父親は農業を継いだというだけでなく家自体を継ぎ、所領地を守り、そして親の面倒を最後まで見ました。
もちろん物語のようなきれいな愛の世界ではありません。物理を伴う親子喧嘩は日常茶飯事でした。
それでも最後まで面倒を見ました。見たんです。


一方で弟の方はいかにも自由気ままに生きた人間らしく、しかも(最終的には倒産してしまいましたが)社長にまでなったのでそれはまあ調子に乗った、無責任で自分勝手な性格でした。
責任を抱え、負った人間とそうでない人間、それは根本的な人生思想レベルで違う人種なのです。



母親の話。
母親の家族も田舎の貧乏家であり、経済的な問題で高校には進学させてもらえませんでした。
当時は誰でも高校、大学に行けるという時代ではないのですが、その中でも下の方の兄弟だけは高校に行かせてもらえました。
長男長女が仕事につき経済負担をなくしてくれた結果です。


物語ではなくドキュメンタリーなりの現実の話を見ている人なら、「弟を進学させるため、兄が犠牲になって仕事をして弟の学費を稼ぐ」というのは昔現実にあった話だと知っているかと思います。
弟の学費を稼ぐ、とまでいくのはそれでも多くはなかったかもしれませんが、進学を諦め就職することで親のその子にかかる経済負担をなくし、その分弟の学費を捻出する余裕を生み出す、ということは普通に行われていたことです。


そんな両親を見てきたからこそ、私も今の選択をしました。
広義に見れば自分が選択した、かもしれませんが狭義に見れば自分がやりたかったから選択したわけではありません。やらなければいけないから選択したのです。
自分の前に「自分の自由選択で好きなように生きた」とは真逆の人生を歩み、誰もが嫌がる責務を果たしてきた人間がいるので。



今の日本は随分と余裕のある社会になりました。
最低限の生活レベル(それは世界的に見れば遥かに高水準)は誰でも確保でき、誰でも進学でき、誰でも自分の好きなことを仕事にできる。
自由に生きることが「権利」である時代に生きているからこそ、それが当たり前であり自分の意志選択だけで誰でもできることだと思っている。
しかし現実は自分で自己都合だけで選ぶことで回ってはいません。
損を担当する人がいるから回っています。
少なからぬ人が「選びたくない、やりたくない」ことをやってくれているから自分が自由にだけ生きても回っています。
その損を担当してくれた人に「お前が自由に選ばなかったから悪い」と言うのは無責任な発言です。
その事を忘れてはいけません。
―――――――――――――――――――――――――



だいぶそれたので話を本題に戻します。
以上のことから、上でも書いた通りお姉ちゃん問題は私は我慢したことに共感こそすれ、我慢したことを非難する気にはなれなかったですね。
(お姉ちゃんが我慢してくれたことで親の制限から解放され自由に生きている)久美子がお姉ちゃんを非難するのも随分と勝手な言い分だと思って聞いていました。(彼女は高校生=子供であり、子供の感情を描きたかったと思うので作品としては間違っていませんが、彼女の言い分が正しいとは思わない)


お姉ちゃん問題は物語的な意味ではあすかのことを引き立てるための前座として存在しているので作者の意図はそこでしょうが、私はあまり納得できない描写でした。
作中の登場人物が個々人でお姉ちゃんを否定するのは仕方ありません。ただの登場人物なのですから。
ですが作品自体がお姉ちゃんが間違っていたので更生して成長しました、という形に描写を持っていったのは私としてはこの作品の中で数少ない「嫌いな点」でした。