電王戦FINAL

第五局 阿久津八段 vs AWAKE

というより全体の総括的な話ですが、今回の電王戦はこういう戦いだったんだと理解しています。


プロ側に今まで以上に勝ちに真剣に、貪欲になってもらうという意図は事前から伝わってましたし、だとしたらこうなっても仕方がない。
私個人としてはここまであからさまなハメ手はなしで戦う将棋を見たかったですが、それは私個人の好みの問題であってそうでないから不満だNGだという話ではありません。(私個人としては藤井システムが見たかったけど急戦の将棋になった、みたいな話と同じ)
だから、阿久津八段が悪いわけではない。彼は与えられた環境の中で求められる「仕事」をしただけです。
川上会長も強調してフォローに回っていましたが、今回こういうルール、こういう方針でのイベントにしたことはドワンゴ側の意向であって、日本将棋連盟側からすら反対されていたことです。
だから彼らとしては自分の意志とは別にスポンサーからの要請に応じて仕方なく仕事をしたのであって、棋士がズルいとか卑怯とかギンジ(漢字が分からない)を問われるものではない。仕事をしてるとこういう自分の意志ではないことを自分の意志としてしなければいけないことは多々あります。


その上で気持の面でという話になりますが、巨瀬さんの気持ちはよく分かります。
これがただの将棋ソフト開発者程度の人が言っているなら別ですが、巨瀬さんは元奨励会、つまり誰より将棋に対して真剣に臨み、酸いも甘いも味わった人。また棋士側への理解も配慮も一番ある人。
当初から勝ち負けにこだわらないので棋士の棋力向上に寄与できれば、と表明しており、その純粋な誠意を持ってこの電王戦に臨んでいた。その気持ちが裏切られた、少なくとも彼の望む方向には汲んでもらえなかった。
だから、そういう人がこういう結末に憤慨を持つのは許されること。正しいこと、ではなく許されること。
そういうバックボーンの部分も理解した上であの発言は聞くべきもの。
(ちなみにプレイヤーでしかない巨瀬さんがプレイ内容において興行やスポンサーのことを考えて行動する必要はないので、早期投了や開発者判断投了は問題ないと思っています)


各所でこの言葉がよく使われていますが、今回の電王戦は「誰も幸せにならない」という言葉がピッタリだった気がします。
お互い楽しく対局しましょうね、ではなく勝ちにこだわってくださいということでやったFINAL、だからこそ結果がどっちでも不幸になった人が多いなぁと。
共存共栄を謳ってやって来ましたが、ツツカナ×船江みたいな友好関係、その後のプラスに繋げられる関係を築き上げられたのはごく一部で、喧嘩別れ的になった人、ネット上で不当な批判にさらされるだけで出てよかったという幸せを感じられなかった人が多すぎる。


今回FINALだったわけですが、今回で最後でいいと私も思っています。
といっても今回の内容に不満があったのでこんなのやめてしまえと思っているわけではありません。今回の内容は今回の内容で興味がありましたし(以前も書きましたが、プロが「勝ちにこだわった」場合にコンピュータ将棋とどのくらい戦えるかということ、そういう「将棋力」以外の部分の「勝負力」で、コンピュータ将棋がどのくらい対応できるかということ)、だから今回は今回で満足したしこれでよし。
ただ、この方針での勝負は一度で十分で二度も見る必要はない、その意味で最後でいい。


最後にちょっと余談を。
将棋ファンなら読んだ方も多いかと思いますが、大崎さんの著書『将棋の子』の中で、奨励会の現実が描かれています。
そこには、純粋な棋力勝負以外に、盤外戦術も駆使してともかく勝ちをもぎ取ろうとする「勝負の鬼」の姿が描かれていました。
いい悪いの話ではなく、プロの将棋指しになるというのはそういう「勝つ力」自体も求められる世界。そういう世界である奨励会を勝ち抜いたのがプロ棋士


そんな「勝負士」であるプロ棋士と「純粋な理論探求者」である将棋ソフト(そして開発者)、その意味でも異種格闘技戦だったのが、今回の電王戦だったんだと思います。